合宿編Part Final

日本は法律で自動車を禁止している国であり、その法を無効にするのが運転免許証である。

これは私が普通車の免許を取る際に教官から言われた言葉だ。この言葉を曲解すると、すなわち免許申請とは合法的に法を破るための宣言である。法の下の平等という絶対の理を変えるには当然相応の代価が必要で、それがたとえ生命を賭すようなものであっても、あの日の私に拒否権はなかった。

 

2021/09/02、あの憎たらしい鉄塊を初めて地面に叩きつけてから10日が経とうとしている。両の足に刻んできた無数の傷は全て今日のためにある。私(達)が破らなければならない壁であり鎖、卒業試験。

怖すぎる。大げさに思うかもしれないが命の危険すら感じていた。なにしろ今日まで自信をもってバイクに乗れた日など1日もないのだ。とある課題については1度も規定を満たせたことがない。そんな体たらくで一発勝負の大舞台。人はこれを負けイベと呼ぶ。

残暑の9月とはいえ朝の空気は涼やかで悪い心地はしない。2階の控え室からはがらんとした試験会場が見える。受験者は6人、私は2番目。腹を括る時が来てしまった。

トップバッターはR君。前半は順調に課題をこなす。いつも通り、危なげない走りだ。そのまま課題も片付けて私たちの待つ準備室に帰還した。R君の帰還が意味するもの。私はR君を軽く労い、両肩にのしかかる重圧と共に準備室を出る。

 

試験が始まる。試験官に合図をし、安全確認を終え、跨った。エンジンが唸り、身体はゆっくりと前進する。もうステップを踏む両足が地に着くことはない。

まずは外周を慣らし走行、今日のバイクの調子を確かめる。バイクに問題は無さそうだ、あとは私次第。

しかし、そんな私の心をへし折らんが如く待ち構えるクランク。クラッチを握る左手に全神経を集中、目線は前、神様にお祈り。

どうにかクランクを越えて既に満身創痍だが試験はまだ序盤だ。坂道のお出ましである。あの時私を殺した宿敵との再会、だが人間とは死線を乗り越えて強くなる生物である。今の私にとって坂道など恐るるには足らないのだ。嘘、普通に怖かった。

宿敵を越えてもなお、私に平穏は訪れない。坂道がどうでもよくなるほどの、どうしようもない恐怖が、殺意が、絶望が。この試験に跋扈していることを私はよく知っている、とてもよく知っている。

 

その名をスラローム。等間隔に配置されたパイロンを蛇行しながら避ける。転倒及びパイロ接触は即試験終了、通過タイム8秒を超えると減点。私が今日まで一度たりとも完全攻略できなかったラスボスである。

通過ですら5割の確率でできるかどうかという状態。本番でタイムアタックなどやっている余裕はない。減点上等、死んでも転けるなぶつけるな。なんとしても帰るのだ、あの糞のような田舎に。かけがえのない故郷に。勝利の女神がいるのなら、今だけでいい。私に微笑んでくれ。

 

 

 

 

バスの扉が閉まる。後輩とR君はこの期間で随分友達を増やしたようで、名残惜しそうに窓の外を見ている。私はまだ現実を信じられずにいた、その手に卒業証明書を持ったまま。そのままバスは始まりの地、浜松駅で私達を降ろした。

私達は見事合格を修め、あの教習所を去った。祝勝会はやはりさわやかハンバーグ、記念のプリクラも撮った。それが私達が過ごす最後の浜松だった。

教習所での10日間とは長いようで短く、短いようで長く。少なくとも私達がR君と、その別れを惜しむほど関係を深めるには十分すぎた。私もそれを覚悟しているつもりだったが、いざ別れるとなると辛いものがあった。

 

以上が私の浜松での体験である。この後大阪で1泊し、山口に向けて再び18きっぷ旅と洒落込むのだが、その帰路もおおよそ普通ではなかった。その話は機会があったらまた書き連ねるとして、とにかくこの話はここで一区切りとさせて頂きたい。