合宿編Part1

半年ほど前の会話が全ての始まりだった。後輩が唐突に「バイクに乗りたくないか」と聞いてきた。「乗れるなら便利だろうな」と返した。そうして私達は浜松に向かった。

元々バイクなどに乗る予定は毛頭なかった。物は積めず、事故を起こせば死ぬ。四輪車だったら90近い爺さんが事故を起こそうとも無傷である。それどころか被害者面する元気さえ有り余っている。

AT車全盛期のこの時代にバイクなどという絡繰に乗る阿呆はイキリか、何か勘違いしたオタクのどちらかだ。とさえ思っていた。

事実私は後者の1人であり、先日免許を取ってしまった訳だが。

旅の始まりは山口県防府市、本州最西端の県から青春18きっぷで東海地方を目指す。この馬鹿げた旅程を組んだのは他ならぬ後輩で、この馬鹿げた旅程を通したのは他ならぬ私である。

大雨の影響も危惧されたが定刻通りに列車は動き出す、山口ではお馴染み末期色。滑らかに加速していく様はいよいよ旅の始まりを実感させる。

後輩が口を開く。基本的に話題を振るのは彼だ。そしてこれまた基本的に、彼の話題に生産性はない。かといって、私からの会話に生産性があるのかというとそれも、ない。

後輩は「あとどれ位乗るのか」と聞いた。私が「10時間以上」と答えると、「バカだなあ」とぽつり。ああ、地獄の閻魔がなぜ亡者の舌を抜くのかがよくわかった。

その後、南陽駅が多すぎる、広島駅から球場が見える、クレーマーはどうしようもない生き物だなどと他愛もない会話を繰り返しながら私達は山口を抜け、広島を抜け、岡山に渡った。

f:id:muraha0314:20210909083515j:image三原で買った昼食(アナゴ弁当)

岡山県の中ほどだろうか、いいとこの制服を着た中高生がぞろぞろと乗ってきた。クロスシートの向かい側、相席した2人に聞くとやはりお受験戦争の勝者であった。中学1年ながら恐ろしいまでの向上心とその向上心に応える圧倒的学習環境。うち1人は将来医者を志しているという。なんと惨めなことだろう。こちらのパーティは劣等高専生と人の皮を被ったクリーチャーだ。彼らエリートを羨む暇があるのなら少しでも彼らに届くよう努力せよ、そう言われているようだった。

結局彼等とは姫路をすぎた辺りで別れることとなる。県境を跨ぐというのは我々にとってはまあまあ大移動だが、似たような生徒様が結構いたのには驚いた。そしてそれを90分足らずでやってのける電車のスペックにも驚いた。努力などやめだ。どの道山口のようなクソ田舎では伸びるものも伸びない。末期色は所詮末期色なのだ。

持ってきた本を読みながら大阪、京都と歩を進めた。この京都というのはある種のターニングポイントで、私が18切符旅行で降りた駅では最も遠い。その京都を抜け、旅はついに未知の領域に突入する。

名古屋に着いた時、いや、広島あたりからずっと、私達は建物の大きさに感服していた。何度見てもとても同じ日本とは思えない。その好奇心はついに名古屋で限界を迎え

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降り立った。後輩がパルコに行きたいと健脚を暖めはじめたので、私は地下鉄を勧めた。地図の見方は社会科かせいかつの時間で習っているはずだが。

彼は次に歌志軒に行きたいと言い出した。歌志軒というのは美味しい油そば屋さんである。開いているのか聞いてみた所、結構遅くまでやっているというとてもふんわりした答えが返ってきた。時刻は20時を回っていた。勘のいい皆様はこの話のオチを察したことだろう。彼の名誉のため正確にいうと駅周辺とは言えない距離の店舗は開いていたのだが、なんにせよ誰かを付き合わせるのなら店舗情報くらいは確認しておいてもらいたいものである。

諦めてその辺のチェーンで夕食にしようとしていた時、見つけてしまった。名古屋は我々を見捨てなかった。

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矢場とんである。店舗はやはり開いていなかったがテイクアウトは受け付けていた。肉厚ジューシーなカツと味噌ダレのまろやかな甘み、味噌の香りと多幸感が脳を支配する驚異の体験。長旅ですっからかんの胃袋を渾身の力で掴まんとする悪魔的旨さ。これを食わずして名古屋に来たと言えようか。

味噌カツを喰らいながら外を見る。まもなく列車は浜松駅に到着する。