合宿編Part2

旅の始まりを告げた朝日はすっかり沈み、私達を乗せた艦は闇夜を駆る。ホームの明かりが煌々と輝き、この壮大な旅に一旦の区切りをつける。私達は浜松の地に辿り着いた。

時刻は22時を回ったところで、腹を満たした我々のやるべきことは一つ。宿探しである。と言っても近くの格安インターネットカフェに向かうだけだったのだが、だが。問題は後輩の所持金だった、彼の財布には700円しか無かったのだ。格安と言っても1泊1000円である。ではこの状況で、我が後輩の出した結論をご覧頂こう。

野宿

野宿、Nojuku、Field stay。山口から10時間以上電車に乗り続けた上、合宿用の巨大なスーツケースを持ち、そこらの公園のベンチで無防備に寝ようと言うのだ。これは後に免許合宿で出会う仲間にも言ったことだが、後輩の言動を人間のそれだと思うと脳が理解を拒絶する。従って、私は彼のことをサルか何かだと思うことにした。サルには申し訳ないが。

後輩を公園のベンチに置いて私は目的地のインターネットカフェに着いた。24時間1320円という破格のお値段。ネカフェの基本装備に加え、シャワーとモーニングは無料。便利な時代になったものだ。ついでに椅子はマッサージチェアである。

f:id:muraha0314:20210915002815j:image寝る時は座椅子にしてもらえばよかった(部屋替も無料)

翌日。外に出ると、さっきまで闇夜を照らしていた光の街は姿を消し、朝日に照らされて輝く街道が広がっていた。後輩と合流し、駅周辺をなんとなく散策する。まだ商業施設は開いておらず、やることも無い。ひたすら集合時間を待つ。

集合時間になるとそれらしきマイクロバスが来た。私達を含めて6人が乗ったそのバスは、ありがちな施設紹介映像を流しながら我々の目的地へと向かう。

自動車学校に入校するとすぐに説明だの書類確認だの撮影だのがあった。まあこんなもんだろう、しかしどこかアナログ感が否めない。そんな感じだった。なんというか施設全体の文明レベルが10年前くらいだったのが少し気になった。

その後運転適性検査を受けた。前回より明らかに落ちた自らの処理能力と教官の人間性を疑ったことくらいしか言うことは無い。

それから、ついに、初の技能教習が始まった。まずは技能教習全体のルールと防具のつけ方。それが終わっていよいよバイクとの対面である。私がこれから親の仇のように倒すバイク、CB400SFとの出会い。

バイク教習で最初にやること、それは取り回しと引き起こしである。要はバイクを手押しできるようになって、倒れたバイクを起こせるようになればいい。と簡単に書いてみたが、わざわざ教習項目になるようなことが2行で済む話なわけがない。手押しするにも起こすにもバイクは重いのだ、200kg近くあるのだ。常に両腕に全力を込めてバイクを押す。そうでないとまず動かないし、力を抜こうものならこの貧弱貧弱な体ごと倒れていく。

倒れたバイクを起こすのも一苦労である。足の力で起こすというのはよく聞く話で、実際倒れたバイクを起こそうと思ったら足の力が必須なのだ。では足の力を使えば楽に起こせるのかというと、当然ながら全くそんなことはない。重いものは重い。教習時間の1/4もすぎる頃には完全に息が上がり、身体中から吹き出る汗は止めどなく、半年前の行動を後悔するには十分の疲労が溜まっていた。

既に満身創痍の肉体で次に教わるのはギアチェンジ。いわゆる世間一般で言うところのバイクはMT車マニュアル車と言うやつで、クラッチだのエンストだのと付き合わなければならない機械である。ギアチェンジ操作というのはマニュアル車アイデンティティとも呼べる要素で、文字通り走行中にエンジンにあてがう歯車を変えるのである。で、その手順というのが

①左手でクラッチレバーを握り、エンジンとギアの接続を切り離す(クラッチを切る)

②右手でアクセルグリップを戻す

③左足でシフトペダルを上げ(下げ)て、ギアを変える

④右手でアクセルグリップをいい感じに回す

⑤左手のクラッチレバーを離し、エンジンとギアを接続する(クラッチを繋ぐ)

は?